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'20/10/7 「家族」には、固い絆も共感もいらない

 

内田樹著『街場の親子論』(中央公論新社)に関する記事を読んで、今のコロナ禍での「同調圧力」に通じるものを感じたのでコメントしたい。

 

少し長いが記事から

『いまの日本社会では、過剰なほどに共感が求められている気がする。

しかし、ふつう他者との間で100%の理解と共感が成立することなんかあり得ない。

どんなに親しい間であっても、共感できることもあればできないこともあるし、理解できることもあればできないこともある。

家族の間に秘密があることも当たり前であり、家族に知られたくない思いを心の奥底に抱え込んでいるものだ。

もし「家族らしい思いやり」というものがあるとすれば、家族が隠していそうな「心の秘密」に気づいてもそれに不用意に近づかない、という気づかいのことではないだろうか。

どれだけ親しい間柄でも、必ずどちらかが「何でそんなことを言うのかわからないこと」を言い出し、「何でそんなことをするのかわからないこと」をし始める。

しかし、それは避けがたいものなのだという心の準備はなかなかできないので、「親しいつもりだった家族」は傷つけ合ってしまう。

「家族はお互いに秘密を持たない方がいい」「家族は心の底から理解し共感し合うべきだ」という、間違った前提から話を始めたことがその原因なのだ。

 

「あるべき家族」について高い理想を掲げ、お互いを常に「減点法」で採点するのはよくない。

家族の合格点をわりと低めに設定しておいて、「ああ、今日も合格点がとれた。善哉善哉」と安堵する日々を送る方が、精神衛生にも体にもよいのではないだろうか。』

 

人によって家族に対する考え方が色々あるのは確かだ。親は子供が自分の思い通りにすべきでそれが当然と思うかもしれない。その延長線上に学校での先生と生徒の関係があるように思う。

 

昔、向井万起男さん(宇宙飛行士向井千秋さんの夫)の講演を夫婦で聞いて「あなたにとって一番大切な人は誰ですか?隣の人ですか?」と問いかけられた。その時、自信を持って隣の妻ですと言えない自分があった。普段そんな事を考えた事などないのだ。

 

米国ではロケット発射の場に招待される宇宙飛行士の家族は登録されている一番大切な人たった一人で、それが配偶者という訳だ。しかし日本でそれを言うと揉めるのである。特に母親は「何故私でないの?」と言うのである。息子が結婚しているのに子離れが出来ない。

 

私はその夜帰ってからの夕食で、娘達に成人していつか親よりも大切な人が出来るんだと理解してもらうために、その講演の話をして「お父さんの一番大切な人はお母さんだからね。」と話した。

その時の幼い娘達の気持ちになると、残酷だったかなと反省したが、案外素直に育ってくれた。そして、妻は当然私を大切にしてくれた(のろけ?)。

しかし、家族の在り方を考えるきっかけになったのは確かだ。家族といえども一人一人が独立した人格であり、それを尊重する事の大切さを徐々に刻み込むことになった。