今のコロナ禍で人との交流が減り寂しさを感じて生活しているが、ある意味で達観している。
そんな時に我が意を得たりという文章に巡り合った。
それは、五木寛之「見えない不安に、心の抗体を」文藝春秋10月号に掲載されている次の文です。
コロナの流行は、一年二年で収束するようなものではないと私は考えています。
こういう時に、万能薬のように聞く言葉はなかなかありません。
人は難しい境地に差し掛かった時、「命令形の言葉」を欲します。
答えを安易に求めてしまうのです。
私は「こうしろ」「こうするな」と言う命令形の言葉には、首を傾げたほうがいいと思います。
古くから「慈悲」と言う言葉がありますね。
慈悲と言うのは2つの言葉で、慈は励まし、悲は慰めです。
元気がなく、もう歩けないと言う人に、「頑張ろう」と励ました時、「ありがとう」と立ち上がれる人もいるでしょう。
でも「一歩も歩けない。もうダメだ」と覚悟を決めている人もいるはずです。
そういう人に頑張ろうと励ますのは逆効果です。
その時は黙ってそばにいるしかありません。その状態を悲といいます。
そのような時はどうすれば良いのか。
(中略)
究極のマイナス思考から始めるしかないと私は思います。
期待が大きすぎると裏切られた、残念だと言う思いが芽生えますが、期待せず最底辺の絶望から歩き出せばいい。
例えば、坂本九の「上を向いて歩こう」。
これは、人々を元気付けるために「上を向こう」と促す明るい歌ではありません。
涙がこぼれないように上を向いて、泣きながら歩き続ける。
そんな一人ぼっちの夜を歌ったものです。
これほど悲しいセンチメンタルな歌は無いのではないか。
悲しい時は悲しい歌をというのが私の実感です。
(中略)
今を「夜」として受け入れる。
「朝」が訪れる見込みがあるかもわからない。
だけど口笛を吹きながら夜を往け。
夜だからといって陰陰滅滅とうなだれている必要は無いのです。
一方で「夜明けは近い」と過度な期待を寄せることもしない。
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